
時を歩くまち 金沢 ― 重要伝統的建造物群保存地区でたどる金沢の美と文化
- 所要時間:
- 6時間
- 移動手段:
- 徒歩、バス
古き良き日本の面影を、今に伝える町並みがあります。「重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)」とは、全国各地に残る歴史的な集落や町並みの中でも、特に国が保存すべきと認めた場所のこと。宿場町や商家町、港町、武家屋敷、茶屋街など、暮らしの中で育まれてきた風景が、今も息づいています。
2025年 ー 重伝建制度が創設されて50年。全国には現在129地区(2025年4月時点)の重伝建があり、その中でも石川県は全国最多の8地区を誇ります。中でも金沢市は、そのうち4地区が選定されており、日本でも屈指のまち歩きの宝庫といえるでしょう。
<金沢の4つの重伝建地区をご紹介>
金沢市の重伝建は、大きく2つのテーマに分かれます。 「寺社群」と「茶屋町」――
① 寺社群エリア:「寺町台」「卯辰山麓」
金沢城を囲むように、加賀藩が築いた城下町。その中で、防衛や宗教的な管理を目的として形成されたのが、この「寺町台」と「卯辰山麓」の寺社群です。
江戸時代、元和・寛永期(1615〜1644)に整備された町割や、細い路地の風情が今も残り、歩くほどに時間旅行をしているかのような錯覚に。静かに佇む山門の風景は、歴史とともに深呼吸したくなるような落ち着きを与えてくれます。
② 茶屋町「東山ひがし(ひがし茶屋街)」「主計町(茶屋街)」
全国にわずか3つしかない“茶屋町”として登録されている重伝建。そのうちの2つが金沢にあることをご存じでしょうか?
1階に風情ある出格子、2階は高く設けられた座敷造り―― この特徴的な町家建築が連なる「ひがし茶屋街」と「主計町」は、今も芸妓文化が息づく場所。
昼は歴史情緒あふれる町並みを散策し、夜には灯りが揺れる幻想的な景色に包まれます。
2025年4月現在、全国各地の重伝建を巡りデジタルスタンプをコレクションできる「伝建デジタル de スタンプラリー」を好評実施中(2026年1月まで)
主計町(かずえまち)茶屋街(登録名:主計町)
浅野川のほとりに息づく、時を超えた茶屋のまち

金沢・主計町(かずえまち)茶屋街。浅野川に寄り添うように佇むこの街は、かつての北国街道と交わる場所にあり、まるで時間がそっと立ち止まったかのような空気が流れています。
重伝建地区としては全国でも最小規模――それでも、このわずか0.6ヘクタールの町に、今なお現役のお茶屋が4軒、灯りをともし続けています。(※2025年4月現在)
その姿は、ただの古い建物ではなく、今も人の営みが息づく“生きた文化財”です。
町家の外観には、茶屋建築ならではの意匠が随所に。
通りに面して連なる家々は、下から順に――
繊細な格子戸が並ぶ1階、音を楽しむための広間として使われた2階、時代とともに加えられた3階。それぞれが独特の表情を持ちながら、統一感ある景観をつくり出し、川辺の風景と調和しながら、まるで一幅の絵巻物のよう。
さらに、浅野川から少し奥まった路地に足を踏み入れると、そこにはより古式ゆかしいお茶屋がしっとりと佇んでいます。喧騒を離れた静けさの中に、時の流れに磨かれた落ち着きと品格が漂います。かつて旦那衆が通ったという「暗がり坂」もこの地にあり、迷い込むように歩けば、かつての粋人たちが見た風景に、ふと重なるような瞬間があるかもしれません。
河畔に成立した茶屋町としての特徴を今に伝える貴重な町並みです。
ひがし茶屋街(登録名「東山ひがし」)
江戸から続く粋なまち ―「ひがし茶屋街」の歴史と美

浅野川のほとりに広がる「ひがし茶屋街」。
そのはじまりは、江戸時代後期、1820年に遡ります。
当時、この界隈は、加賀藩のお膝元である城下町と北国街道を結ぶ交通の要所で、人々や物資が行き交い、また卯辰山麓の寺社に詣でる人々でにぎわっていました。
そんな中、加賀藩は、風紀や治安を守るため、犀川西側の「にし」と対をなすように、浅野川の東側に新たな茶屋街ー「ひがし」を整備しました。
現在の町割りはこの時に整備されたもので、当時、南北約100m・東西約180mの範囲に、かつては約90軒もの茶屋が並び、表と裏には冠木門の木戸が設けられていました。
このとき定められた町割りは、現在もそのまま残されており、現在4軒(2025年4月時点)のお茶屋が現役で営業しています。
「ひがし」の町並みを歩けば、一目でそれとわかる美しい意匠が目に入ります。
目の細かい木格子が並ぶ1階正面と、天井が高くそろった2階部分――この独特の佇まいこそが、茶屋建築の象徴です。
当時の一般的な町家では、2階は天井が低く、むしこ窓や格子窓が用いられていましたが、2階の正面に座敷を設け、縁側が張り出すお茶屋構造は、格式ある遊芸の場としての“許された”建築様式でした。この特徴は、京都・祇園の茶屋町と共通する、日本の伝統建築の粋といえます。
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卯辰山麓寺院群(登録名:卯辰山(うたつやま))
静けさに包まれた時の路地 ― 卯辰山麓寺院群地区

「ひがし茶屋街」に隣接するもう一つの重要伝統的建造物群保存地区、それが卯辰山麓寺院群地区です。
加賀藩は、慶長期から元和期(1596~1624)にかけて、防御拠点としてまた一向宗への監視拠点として、寺町台、小立野台とともに、卯辰山麓の3つの地区に寺院群を形成しました。ここは、江戸初期――慶長から元和(1596〜1624)にかけて、加賀藩が防御の拠点、そして一向宗勢力への監視の要所として、寺町台、小立野台とともに整備した3つの寺院群の一つです。
旧北国街道から、卯辰山の中腹へと緩やかに伸びる路地。現在も、約50もの寺院や社寺が点在しており、ひとつひとつがこの地の歴史を静かに語りかけてきます。
卯辰山麓の寺院群には、興味深い建築的特徴があります。それは、宗派を超えて採用された建築様式の統一性。
多くの寺院が、切妻造・平入型や方丈6室型という共通のスタイルを取り入れており、町並みに一体感をもたらしています。
一方で、切妻造・妻入型の形式の本堂もあり、梁を重ねた繊細な意匠や、唐破風(からはふ)の式台玄関など、格式と美しさが調和した意匠も随所に。
卯辰山麓のもうひとつの魅力は、地形が生み出すドラマ。傾斜のある地形に沿って曲がりくねる路地や階段、緩やかに高低差を持つ町並みが、歩くたびに表情を変える風景を見せてくれます。このエリアには、藩政期から続く細街路や町割が今も色濃く残り、まるで当時のままの風景に出会えるかのようです。
寺町寺院群(登録名:寺町台)
歴史と信仰が交差するまち ― 寺町寺院群地区

金沢城の南西、犀川のほとりに広がる寺町寺院群地区は、金沢の中でも最も規模が大きな重伝建地区のひとつ。現在でも約70もの寺社が集まり、「街そのものが“寺のまち”」と呼べるほどの存在感を放っています。
この地区は、かつて加賀一之宮・白山比咩神社への参詣路「鶴来街道」沿いに栄えた「(旧)泉寺町」と、前田家の菩提所・野田山へと続く「野田道(現寺町通り)」に沿って形成された「(旧)野田寺町」の2つのエリアから構成されています。江戸の時代、人々の信仰の流れとともに生まれ、育まれてきた町並みです。
卯辰山麓の風景が曲線と起伏に彩られているのに対し、ここ寺町台では、直線的な街路に整然と並ぶ寺院群が印象的。そして赤と青、2色の戸室石(とむろいし)が織りなす石積の美しさ。
金沢城の石垣にも用いられたこの地元産の石が、通りに連なる寺社の土台を支え、静かな風格と個性を街並みに与えています。
この地区で最も有名なお寺が、3代藩主・前田利常が前田家の祈願所として建立した妙立寺(みょうりゅうじ)。金沢城の出城としての役割も果たしたとされ、敵を欺くための色々な仕掛けがほどこしてあることから通称「忍者寺」と呼ばれています。その他、松尾芭蕉ゆかりの「顔念寺」やcafeを併設している「宝勝寺」や「極楽寺」などがあります。
寺町台は、単なる歴史の展示空間ではありません。ここには、祈りと暮らし、そして文化が今も息づいているのです。
格式ある寺社を巡りながら、金沢ならではの“時を味わう旅”を、ゆっくり楽しんでみてはいかがでしょうか。