金沢と松尾芭蕉:おくのほそ道が結ぶ、時を超えた旅 ~芭蕉が歩いた加賀路を往く~

松尾芭蕉は、俳句の巨星として日本文学の中でも特別な存在です。 1689年3月27日(新暦で5月16日頃)、江戸を出発した芭蕉は、西行法師や能因法師、古文に思いを馳せながら、数々の歌枕や歴史的名所を訪ね、旅を続けました。旅も終盤、金沢には10日間滞在し、地元の俳人たちと句を交わしながら、心を休めたと言われています。10日間という滞在日数は、この旅の中で最長にあたります。

当時の金沢は、北陸屈指の文化都市で、俳諧(俳句)の盛んな地域でした。芭蕉は金沢の俳人たちと深い交流を持ち、安らぎのひとときを過ごしました。金沢を訪れることで、芭蕉が感じた風景や町の雰囲気を今に伝える「時を超えた旅」を体験することができます。


1689年(元禄2年)

7月15日(新暦8月29日)朝 富山県高岡市を出発 埴生八幡に参拝し、倶利伽羅峠の古戦場で木曽義仲に想いを馳せる

7月15日午後 金沢着 京屋吉兵衛宅に宿泊 金沢の俳人「一笑」の死を知る

7月16日 宿を宮竹屋伊右衛門宅に移し、「小春庵」で句会を開く

7月17日 立花北枝(ほくし)宅の「源意庵」(現泉鏡花記念館前)で句会を開く

7月18日 俳人と集う

7月19日 俳人と集う

7月20日 犀川沿いの「齊藤一泉」宅の「松玄庵」で句会に参加 野田山に遊する

7月21日 卯辰山の谷川で舟浮かべて句会を開く(宝泉寺・小坂神社)

7月22日 願念寺で「一笑」の追善句会に遊する

7月23日 郊外の金石(かないわ)に足を延ばす(本龍寺)

7月24 金沢発

金沢に残る芭蕉の足跡

  • 石標「芭蕉の辻」(片町交差点)

  • 願念寺

  • 養智院 烏水亭

  • 心蓮社

  • 願念寺

  • 小坂神社

  • 立花北枝宅跡(久保市剣神社横)

  • 宝泉寺からの眺め

  • 料亭 つば甚

金沢には、芭蕉にゆかりの深い場所がいくつも残されています。これらのスポットを巡ることで、芭蕉がどのような場所で、どのような気持ちで句を詠んだのかを感じることができるでしょう。


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石標「芭蕉の辻」 (宮竹屋伊右衛門家跡)

芭蕉が宿泊した宮竹屋の場所に立つ石標。芭蕉は金沢滞在の9泊の内、8泊を2軒の宮竹屋(本家・分家)に宿泊しました。この石標が建つあたりは、本家(薬種業)があった場所で、分家(旅人宿)は、すぐ近くにありました。現在は片町の交差点という非常に人通りの多いところですが、約330年前に想いを馳せてみるのも一興です。

場所:片町2-2-15

近くの観光地:長町武家屋敷跡、前田土佐守家資料館、しいのき迎賓館、金沢21世紀美術館


願念寺(がんねんじ)・一笑塚

芭蕉が小杉一笑の追善句会に訪れたお寺。加賀俳壇を担う一笑との出会いも金沢での目的でもあったが、残念ながら一笑は前年に亡くなっていました。一笑の菩提寺の境内には「一笑塚」が建ちます。「塚も動け 我が泣く声は 秋の風」の句が詠まれる。

場所:野町1-3-82

近くの観光地:妙立寺(忍者寺)、本長寺(句碑)、成学寺(句碑)、にし茶屋街、寺町台伝統的建造物群保存地区、谷口吉郎・吉生記念金沢建築館

メモ:石川県立図書館所蔵の「西の雲(上・下)」(一笑の兄ノ松編)がウェブでご覧いただけます こちら


松玄庵跡(松源庵跡・少幻庵跡)

齊藤一泉の庵で芭蕉が句会を開いたとされる。「秋涼し手毎にむけや瓜茄子」が読まれたところ。犀川大橋を超えて蛤坂の上部にある。

場所:寺町5-1-33あたり

近くの観光地: 妙立寺(忍者寺)、寺町台伝統的建造物群保存地区、谷口吉郎・吉生記念金沢建築館、本長寺(句碑)、成学寺(句碑)

メモ:碑や案内文はありません。


小春庵(料亭「つば甚」) 

芭蕉をもてなした宮竹屋薬舗は現在ありませんが、茶室は「小春庵」(こはるあん)として料亭「つば甚」に移築されています。

場所:寺町5-1-8

近くの観光地: 妙立寺(通称忍者寺)、にし茶屋街、寺町台伝統的建造物群保存地区、谷口吉郎・吉生記念金沢建築館

メモ:つば甚は、1752年創業の老舗料亭。多くの文化人、知識人が訪れました。


宝泉寺 

1612年前田家の祈願寺として創建。宇多須神社の横の急坂「子来坂(こらいざか)」を上ったところに位置する。俳人鶴屋句空の草庵「柳陰軒」があった場所で、芭蕉が訪れたと言われています。 眼下にひがし茶屋街や浅野川界隈をのぞみ、そこから見る夕日を日本文学研究者ドナルド・キーンが「落陽の光景が金沢一の寺」と絶賛。

場所:子来(こらい)町57

近くの観光地:ひがし茶屋街、宇多須神社、卯辰山麓伝統的建造物群保存地区、安江金箔工芸館


本龍寺 

海の豪商銭屋五兵衛の墓があることでも知られる寺。小野雲口の招きで、 金石(旧宮の腰)に足を延ばした際に詠んだ句の碑が残ります。「小鯛さす 柳すずしや 海士がつま」(漁師の妻が、小さな鯛を柳の枝に刺している。鯛の赤と柳の緑(青)のコントラストがまことに涼しい感じだ)

場所:金石西3-2-23

近くの観光地:石川県銭屋五兵衛記念館、大野地区、ヤマト・糀パーク、いきいき魚市、


「芭蕉翁巡錫地」碑 (小坂神社内)

滞在7日目、この神社の北側にあった谷あいで舟遊びをしたと伝えられている。720年に奈良の春日大社の分社として創立され、1874年に小坂神社に改称された。

場所:山の上町42-1

近くの観光地:心蓮社(立花北枝の墓)、月心寺(裏千家の祖仙叟宗室の墓や歴代大樋長左衛門の墓) 、ひがし茶屋街、金沢市安江金箔工芸館


立花北枝宅跡  

芭蕉十哲の一人。兄牧童とともに入門。北枝は金沢市内の居を転々としていましたが、この地で「あかあかと~」の句が初めて披露されたといわれています。北枝は、金沢の後、福井まで約25日にわたり芭蕉に随行しました。

場所:久保市乙剣宮右横(金沢市下新町6-21)

近くの観光地:主計町茶屋街、近江町市場、泉鏡花記念館、金沢蓄音器館、大樋美術館、寺島蔵人邸、金沢菓子木型美術館

メモ:石川県立図書館所蔵の「卯辰集」(北枝編)がウェブでご覧いただけます こちら


心蓮社(しんれんしゃ)  

立花北枝の墓と碑がある。

場所:山の上町4-11

近くの観光地:月心寺(裏千家の祖仙叟宗室の墓)、ひがし茶屋街、金沢市安江金箔工芸館


俳人ゆかりの地 養智院

市内の寺院がことごとく転地させられる中、当時の場所に残る希少な寺院。芭蕉十哲の一人、各務支考(かがみしこう)もしばし滞在したというお寺。境内には養智院ゆかりの俳人4名の句碑があります。

素然 :江戸時代元禄(1688~1704頃)の住職。各務支考が金沢に来た折り、泰然、立川北枝らと烏水亭で句会を行う

凡兆(ぼんちょう) :芭蕉より抜擢され、向井去来と『猿蓑』の共撰を行う。墓石あり。

場所:久保市乙剣宮右横(金沢市下新町6-21)

近くの観光地:長町武家屋敷跡、前田土佐守家資料館、にし茶屋街、老舗記念館

金沢で読まれた句

  • 願念寺

  • 本長寺

金沢に滞在中、芭蕉は多くの句を詠み、俳句に置いて面白い試みを行っています。金沢に着いたのは新暦で8月末から9月初旬と季節的には「秋」を迎えておりました。厳しい残暑残る中、ふと吹く風に秋を感じたりするなど、「秋の風」「秋涼し」など「秋」の季語を取り入れた俳句作りにチャレンジしています。


塚も動け 我が泣く声は 秋の風

「私の悲しみが秋の風となって、塚をも動かしてくれ。」

金沢で会えるのを楽しみにしていた有能な俳諧者・小杉一笑の死を知り、追善句会で読んだ句。芭蕉の感情がストレートに伝わってくる一句です。

句碑の場所:願念寺(野町1-3-82)


秋涼し 手毎にむけや 瓜茄子

この頃は大分涼しくなってきた。新鮮な瓜や茄子をそれぞれが皮を剥いて食べよう。」

齊藤一泉の松玄庵での句会のおもてなしに対し句を詠みました。

句碑の場所:長久寺(寺町5-2-20)


あかあかと 日はつれなくも 秋の風

「秋がくるというのに、夕日は真っ赤に照り付けており残暑が厳しい。とはいえ、吹く風には少し秋の気配を感じさせる。」

句碑の場所:兼六園山崎山上り口、犀川河畔(犀川大橋片町側)、成学寺(じょうがくじ)(野町1-1-18)

※奥の細道には、「途中唫(ぎん)」と記され、高岡~金沢間、金沢~小松間のいずれかとされています。


★句碑のあるところ★

成学寺(じょうがくじ) 「あかあかと 日はつれなくも 秋の風」(野町1-1-18)

長久寺    「秋涼し 手毎にむけや 瓜茄子」(寺町5-2-20)

野蛟神社   「うらやまし うき世の北の 山ざくら」(神谷内町ヘ1)

田井菅原神社 「風流の はじめやおくの 田植えうた」(天神町1-3-16)

覚源寺    「あかあかと 日はつれなくも 秋の風」(菊川2-8-18)

本長寺    「春もやや けしきととのふ 月と梅」(野町1-2-8)

上野八幡神社 「山寒し 心の底や 水の月」(小立野2-4-1)


加賀路の足跡(金沢以外)

  • 埴生八幡宮©(公社)とやま観光推進機構

  • 火牛の計(イメージ)

  • 芭蕉の館 ©(一社)加賀市観光交流機構

  • 鶴仙渓・芭蕉堂 ©(一社)加賀市観光交流機構

  • 那谷寺©石川県観光連盟

  • 山中温泉菊の湯 ©(一社)加賀市観光交流機構

  • 気比神宮 ©公益社団法人福井県観光連盟

  • 気比神宮内の芭蕉像 ©公益社団法人福井県観光連盟

  • 天龍寺 ©公益社団法人福井県観光連盟

芭蕉の金沢滞在前後の足取りは、彼の『おくのほそ道』の行程の一部として、多くの文化的、歴史的な場所を訪れたことが分かります。ここでは、越中(富山)、加賀(石川)や越中(福井)での芭蕉の足跡を追っていきます。 


<富山>

【倶利伽羅峠・埴生護国八幡宮】越中(富山)・加賀(石川)の国境にある砺波山(歌枕「卯の花山」)の倶利伽羅峠で、木曽義仲が平家軍に対して行った伝説的な戦術「火牛の計」が有名な場所です。1,183年、木曽義仲は、埴生八幡宮で戦勝祈願を行った後、夜半に400~500頭もの牛の角に松明をつけ、4万余騎の軍勢とともに平家の陣に突入しました。芭蕉は義仲を深く敬愛していたため、埴生護国八幡宮を訪れ、この場所の歴史的意義を感じとったと考えられます。芭蕉はこの後北國街道を通り、倶利伽羅峠を越えて加賀入りします。

場所:埴生護国八幡宮 ・・・  富山県小矢部市埴生2992(金沢駅から車で約40分)

   倶利伽羅峠古戦場跡 ・・ 富山県小矢部市埴生(金沢駅から車で約40分)

メモ:毎年4月下旬~5月初旬 峠一帯の八重桜約6000本が咲き誇り「八重桜まつり」が開催されます


<石川>

【多太神社】齊藤実盛(さねもり)の兜や錦の直垂(ひたたれ)の切れ端が宝物館に収められています。木曽義仲が幼い頃、父親が滅ぼされ、その時に一時保護し、木曽に送ってくれたのが実盛でした。時が経ち、源平合戦で敵と味方に分かれて戦い、義仲軍が討ち取ったのがかつての恩人実盛だったのです。義仲は恩を忘れず、手厚く回向し多太神社に奉納しました。齊藤実盛は「平家物語」「源平盛衰記」や謡曲「実盛」に登場しています。兜は宝物館に収蔵されており、事前予約および毎年7月下旬の「かぶと祭り」時に一般公開されています。「むざんやな 甲の下の きりぎりす」

場所:小松市上本折町(金沢駅から車で約45分)

メモ:毎年7月下旬「かぶと祭り」が開催


【那谷寺】

境内は白い奇岩がむきだしになっている特異な景色が国指定名勝に指定されており、秋の紅葉が特に有名です。同行した曾良の日記によると、生駒万子に会うために、山中温泉から小松まで引き返す道中で那谷寺に立ち寄っています。「石山の 石より白し 秋の風」

場所:小松市那谷町ユ(金沢駅から車で約1時間)

メモ:那谷寺の紅葉 11月上旬~下旬

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【建聖寺】

芭蕉十哲の一人、立花北枝が彫った芭蕉の像を安置。当時の名は立松寺。

兜保存会 0761-22-5678

場所:小松市寺町94(金沢駅から車で約1時間)


【芭蕉の館】

芭蕉は門弟の曾良を伴い、山中温泉を訪れ、泉屋に九日間逗留しています。 その泉屋に隣接の扇屋別荘を改築したもので山中温泉最古の宿屋建築。芭蕉の真筆の掛け軸や俳諧資料を展示しています。

芭蕉は「温泉(いでゆ)に浴す。其効有馬に次ぐと云う。」(山中温泉に入力する。その効能は有馬温泉に次ぐということである。)と詠み、名湯を堪能したことでしょう。総湯の「菊の湯」は、芭蕉の句「山中や 菊はたおらぬ 湯のにほひ」の句から名づけられています。

場所:加賀市山中温泉本町2-86-1(金沢駅から車で約1時間10分)


【鶴仙渓・芭蕉堂】

「行脚のたのしみ ここにあり」と紀行文に記して絶賛した景勝地を愛でながら芭蕉の眺めたであろう風景をお楽しみください。病気の曾良とここで別れる。「今日よりや 書付消さん 笠の露」

場所:加賀市山中温泉東町(金沢駅から車で約1時間10分)


【全晶寺】

山中温泉で病気の曾良と別れて初めての宿。山中温泉でお世話になった泉屋の菩提寺。芭蕉と北枝が行脚中に一泊し、句を残しています。本堂には杉山杉風が彫った芭蕉木像が展示され、又境内には芭蕉塚や句碑が建てられています。

「庭掃いて 井でばや寺に 散る柳」(はらはらと舞い落ちる柳の葉。一宿一飯の恩義にせめてこの柳を掃いてから出発したいものだ)

場所:加賀市大聖寺神明町1(金沢駅から車で約1時間)


<福井>

【天龍寺】

いよいよ越前の国に入り、古い知り合いの大夢和尚を訪ねて天龍寺にやってきました。金沢から同行してきた北枝は、天龍寺を一緒に旅立ち、町はずれの茶屋で芭蕉と別れています。天龍寺には、別れを惜しむ芭蕉と北枝の姿を現した銅像があります。

「もの書きて 扇ひきさく なごりかな」(いよいよ別れの時がきてしまった 句をしたためた扇を二つに引き裂いてそれぞれ持っていこう)

場所:福井県吉田郡永平寺町松岡春日1-64


【気比神宮】

氣比神宮は越前国一宮で、鎌倉時代末期に遊行二世他阿上人が自ら砂を運んで参道を整備したという「お砂持ち」の逸話が伝わっている場所。11メートルの大鳥居は奈良県・春日大社、広島県・厳島神社と並ぶ「日本三大木造鳥居」の一つで、国の重要文化財に指定されています。敦賀では月見を楽しみにしていた芭蕉は、翌日に月見しようと思っていた所、「北陸の天気は変わりやすいので見られる時にみておいた方がいい」という宿の主人の言葉を聞いて、敦賀到着の日に月見に気比神宮へ出かけます。月明かりに照らされた神前の白砂と名月を詠んだ句を作っています。平成28年に境内が名勝「おくのほそ道の風景地」に指定されています。「明月や 北国日和 定めなき」

場所:敦賀市曙町11-68 


芭蕉が訪れた各地の神社仏閣や自然景観は、彼の心の動きや感じた美しさを今に伝える貴重な場所として、現代の私たちにも深い印象を与え続けています。これらの場所を巡ることで、芭蕉がどのようにして自然との対話を深め、日々の旅を通して心の奥深くで感じたことを感じ取ることができるでしょう。金沢を出発点に、歴史や自然が織りなす深い世界に浸る素晴らしい旅が待っています。

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  • 願念寺
  • 宝泉寺
  • 本龍寺
  • 心蓮社
  • つば甚

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