高山右近:加賀藩に仕えたキリシタン大名の足跡をたどる
高山右近(1552年頃~1615年)は、キリシタン大名としてその信仰心に深く根ざした生涯を送った人物として知られています。しかし、彼が生涯の後半を過ごした地が加賀藩であったことは、意外に知られていません。今回は、高山右近と加賀藩との深い関わり、そして金沢や七尾に残された彼の足跡をたどる旅についてご紹介します。
高山右近と加賀藩の深い関わり
高山右近は、豊臣秀吉によるバテレン追放令(1587年)を受け、一度は追放の身となります。しかし、右近の卓越した人柄と才覚を見込んだ前田利家の招きにより、1588年加賀に移り、晩年の26年間を加賀藩で過ごしました。
加賀藩に仕官後、右近は金沢城の修築や高岡城の築城など、加賀藩の城郭整備に大きく貢献しました。また、茶道にも深い造詣を持ち、「利休七哲」の一人として加賀藩の茶の湯文化の発展にも寄与しました。金沢の町づくりにも深く関わり、その影響は現在でも金沢の街中に色濃く残っています。
七尾での静かな日々と史跡巡り
高山右近は能登にも知行を与えられたことにより、七尾にも滞在し。七尾には、右近が過ごした場所や彼を偲ぶ史跡が残されており、その足跡をたどることができます。
高山右近の列福とその影響
1614年キリシタン国外追放令を受け、フィリピンのマニラに渡り、翌年この世を去りました。2016年、ローマ教皇庁より殉教者として列福されました。彼の信仰の強さと日本のキリシタン史における意義は、今なお多くの人々に感銘を与えています。
「高山右近記念資料館(ギャラリー・ジュスト)」が近江町市場近くにオープン
2024年11月、金沢の中心地に「高山右近記念資料館(ギャラリー・ジュスト)」がオープンしました。この資料館は、高山右近が造築を指揮したとされる西内惣構の跡地に位置し、現在の近江町市場近くにあります。 右近の生涯や右近が手掛けた金沢城の修築のほか、加賀地方のキリシタンに関する貴重な資料を展示しています。
<展示品例> ※2025年1月現在 展示替えにより変更になる場合があります。
キリシタン邪宗門を禁止する高札(1700年代前半)
十字架を烏帽子に刻んだ菅原道真像
十字架の光背を付した仏像
キリストを仮託させた「妙見菩薩像」
キリシタンを棄教する旨を記した巻紙
台座にラテン語のV字を刻んだ石仏 など
右近 聖地巡礼 in 金沢
右近 聖地巡礼 in 能登・高岡
Column
高山右近の一生をみてみよう!
1552年 大阪(現在の豊能郡豊能町)に生まれる
1564年 洗礼を受け「ジュスト」という洗礼名を受ける
1573年 高槻城主となる
1587年 秀吉によるバテレン追放令を受け、小西行長の庇護を得て小豆島に
1588年 前田利家の招きにより金沢へ
1590年 小田原北条攻めや、大聖寺城攻めなどで前田軍の参謀役として活躍
1599年 金沢城下掘削
七尾の西山台地に寺院を集めて本行寺を中心とし修道所を造る
1609年 高岡城の縄張りを行ったとされる
1614年 キリシタン国外追放令
1615年 マニラにて病死
2016年 ローマ法王は右近を最高の崇敬対象となる「聖人」に次ぐ「福者」に認定
※画像:「高山右近肖像画」金沢市立玉川図書館近世史料館所蔵
いしかわ文化観光スペシャルガイド(高山右近・キリシタン文化)
石川県内の多種多彩な文化に精通した「いしかわ文化観光スペシャルガイド」が、右近の魅力とキリシタンの文化を深くわかりやすくお伝えします。
奈良 献児さん ー 高山右近とキリシタン文化のスペシャリストガイド
金沢観光ボランティアガイド「まいどさん」として2012年より活動を開始し、海外のお客様も含め多くの方に金沢の魅力を伝え続けています。特に、高山右近とそのキリシタン文化に関する知識には深い造詣を持ち、訪れる人々にわかりやすく解説しています。 奈良さんは、個人的に「高山右近記念資料館」を設立し、資料館内での高山右近の足跡や、石川県に残るキリシタンの遺物などを展示し、キリシタン文化の説明も行っています。さらに、実際に金沢の街を歩き、高山右近やキリシタンに関連する歴史的場所を巡る「フィールドワーク」も行っています。
〇所属:金沢観光ボランティアガイドまいどさん
〇専門・得意分野:キリシタン大名だった高山右近の足跡、キリシタン文化の紹介や一般の金沢の観光施設の案内
〇活動 :現地での案内(施設内、観光地等)、講義・講演、実演・体験