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静音の小道

寺町寺院群マップ

 金沢三寺院群のなかで最も規模が大きく、約70もの寺社が集まっているここ寺町には、忍者寺で有名な「妙立寺」、国指定天然記念物の大桜がある「松月寺」など、歴史と物語を伝える寺社が軒を連ね、その町名にふさわしい風情と佇まいを遺している。また、金沢固有のコミュニティの場である「六斗の広見」や金沢の三文豪・室生犀星ゆかりの「雨宝院」なども存在。
 また、毎週土曜の夕方には梵鐘が空に鳴り響き、「残したい日本の音風景100選」にも選ばれている。境内や路地に建つ数多くの文学碑を訪ねてみたり、格子戸と石畳が続く「にし茶屋街」を覗いてみるのもおもしろい。

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金沢三寺院群とは

 元和2年(1616)ころ、加賀藩三代藩主・前田利常は金沢城の防備や寺社の管理、人別(現在の戸籍)を行うため、さらには一向宗対策として、城下に散在していた寺社を3か所に移転・配置した。城の南東にある「小立野寺院群」、北東の「卯辰山寺院群」、南西の「寺町寺院群」。それぞれに趣きのある3つの“寺のまち”を歩けば、知らなかった金沢が見えてくる。まずは一番訪ねてみたい寺院を決めて、その近隣を巡ってみてはどうだろう。

室生犀星記念館

ふるさと金沢を愛した文豪犀星文学にふれるミュージアム
雨宝院に程近い室生犀星の生家跡に建つ記念館。犀星の生涯がわかる年譜をはじめ、直筆原稿や書簡、初版本などの貴重な資料を一堂に展示し、その生き方や魅力に気軽にふれることができる。吹き抜けのホールにディスプレイされた150点余りの表紙装丁も見応えがある。

金沢市西茶屋資料館

大正のベストセラー「地上」の作者島田清次郎の生涯を紹介
にし茶屋街の西端、島田清次郎が少年期に移り住んだ茶屋「吉米楼」の跡地に建つ。1階では清次郎に関する様々な資料を展示するほか、朱塗りの壁や金屏風が艶やかな2階では当時の茶屋の雰囲気が味わえる。玄関横のウインドーには加賀獅子頭や獅子舞装束も展示されている。

寺町寺院群 文学の薫り高き町

金沢三文豪のひとり室生犀星は、生後すぐに養子に出され、雨宝院で幼少期を過ごした。孤独な生い立ちは生涯その作品に影響を与え続けたと言われる。「抒情小曲集」「幼年時代」「性に眼覚める頃」「杏つ子」などこの地を舞台にした作品は多い。石川県美川町(現白山市)で生まれた島田清次郎は、小学校入学前に祖父の経営する茶屋「吉米楼」(現在の西茶屋資料館)に移り住んだ。大正8年、20歳で発表した自伝的小説「地上」で一躍大ベストセラー作家となったが、波乱の人生は31歳の若さで幕を閉じた。この他ゆかりの 作家では、幼稚園時代を金沢で過ごした詩人・中原中也(有名な詩「サーカス」は、その当時の神明宮での思い出がもとになったと言われている)。また、四高時代に井上靖が散歩道としていたW坂には、自伝的小説「北の海」の文学碑が建つ。

松尾芭蕉の句碑を巡る

元禄2年(1689)、俳聖・松尾芭蕉は門人の曾良を伴って「奥の細道」の旅に出、その途中金沢に10日間ほど滞在して多くの句を詠んだ。寺町寺院群では、そんな芭蕉の句碑と出会うことができる。

犀星のみち

橋を渡ると、河岸の小公園には高浜虚子や室生犀星の碑が並びます。犀星のみちを大橋の方へ進むと、堰の轟音、そよ風に揺らぐサクラやヤナギの老木から、犀川の悠久の歴史と、かけがえのない自然の深みが伝わってきます。 また、 四高時代に井上靖が散歩道としていたW坂には、自伝的小説「北の海」の文学碑が建つ。

六斗の広見

金沢に藩政時代から残る街路網の中の部分的な広がりが「広見」と呼ばれる空間。火災時の延焼を防止するために設けられた「火除け地」が由来とされている。「伏兵を集めた場所」や「荷車の回転場所」などの機能を有したともいわれているが、地域の人々が集うコミュニティ広場のような場所にもなっている。六斗の広見は市内で最大の広見。

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