加賀八家 屋敷跡をめぐる
加賀八家は、加賀藩の年寄(家老)の職に当たる門閥のことで、八家あったことから後に名付けられました。元禄3年(1690)、5代藩主前田綱紀が定めたもので、本多家(50,000石)、長家(33,000石)、横山家(33,000石)、前田家(長種系18,000石)、奥村家(宗家17,000石)、村井家(16,569石)、奥村家(支家12,000石)、前田土佐守家(11,000石)がありました。(藩末時の禄高順)
加賀八家の屋敷跡とその近隣の見どころや加賀八家に関連する施設をめぐるコースです。
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バス7分
金沢駅から兼六園シャトル・金沢周遊バスなど 南町・尾山神社下車 -
徒歩2分
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Spot1前田家(直之系)屋敷跡説明看板
前⽥家(直之系)は、前田利家の次男利政(としまさ)を家祖とし、藩政時代は直之(なおゆき)から直信(なおのぶ)までの9代を数えます。邸は寛永7年(1630)にはすでに現高岡町にあったことが知られ、延宝期(1673〜81)の城下絵図によると、その邸地は約3,000坪(約9,900m²)の広さを有しました。当主の多くが土佐守を通称したことから、一般に「前田土佐守家」と称され、⻑町武家屋敷界隈には前⽥⼟佐守家資料館があります。
詳細を表示する前田家(直之系)屋敷跡説明看板
- 住所
- 金沢市高岡町
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徒歩2分
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Spot2長家屋敷跡説明看板
長家は、藩政時代は連龍から成連までの11代を数え、邸は本拠地である能登田鶴浜と金沢城内の2箇所にありましたが、金沢邸は慶長17年(1612)長町に移転し、約10,000坪(約33,000m²)の広さを有しました。現在は玉川公園として整備されています。
詳細を表示する長家屋敷跡説明看板
- 住所
- 金沢市玉川町2
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Spot3玉川公園 玉川図書館
玉川図書館などが隣接する市民の憩いの場所です。四季折々の自然が美しく、春には桜も美しい公園です。
旧専売公社金沢工場の煉瓦造の建物と現代建築を融合させた玉川図書館は、谷口吉郎・吉生親子による最初で最後の共同作品です。詳細を表示する玉川公園
- 住所
- 金沢市玉川町2
金沢市立玉川図書館
- 住所
- 金沢市玉川町2-20
- TEL
- 076-221-1960
- 開館時間
- 火曜~金曜 10:00~19:00
土曜・日曜・祝日 10:00~17:00
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徒歩3分
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Spot4村井家屋敷跡説明看板
村井家は、長頼(ながより)から長在(ながあきら)までの11代を数え、邸は金沢城内にありましたが、城郭の拡張に伴い長町に移り、約5,000坪(約16,500m²)の広さを有しました。
詳細を表示する村井家屋敷跡説明看板
- 住所
- 金沢市長町1丁目
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徒歩6分
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Spot5武家屋敷跡 野村家
武家屋敷跡にある野村家は、2009年にミシュランの観光地格付けにて2つ星と評価され、また過去には米国の庭園専門誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」誌の日本庭園ランキングで第3位に選ばれるなど、海外からも高い評価を受けています。
詳細を表示する武家屋敷跡 野村家
- 住所
- 金沢市長町1-3-32
- TEL
- 076-221-3553
- 開館時間
- 8:30〜17:30 (4月〜9月)
8:30〜16:30 (10月〜3月)
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徒歩2分
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Spot6長町武家屋敷跡
長町界隈は、かつての藩士が住んでいた屋敷跡であり、土塀の続く町並みの中では今も市民生活が営まれています。石畳の小路を散策すれば、当時の雰囲気がしのばれます。
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徒歩3分
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Spot7前田
土佐守家 資料館前田土佐守家資料館は、加賀藩祖前田利家の次男利政を家祖とする前田土佐守家所蔵の資料、約9,000点(石川県指定文化財)を保管、その一部を展示する施設です。土佐守家の草創期(天正期)から明治にいたる間の様々な分野にわたる資料がみられ、加賀藩政、文化史研究を進めてゆく上でも、その重要性が広く知られています。
詳細を表示する前田土佐守家資料館
- 住所
- 金沢市片町2-10-17
- TEL
- 076-233-1561
- 開館時間
- 9:30~17:00
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徒歩18分
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Spot8旧高峰家
タカジアスターゼとアドレナリンの発見で世界的に有名な、高峰譲吉の生家の一部を旧江戸村に移築し、さらに平成13年、元々建物のあった旧梅本町に近い現敷地に再移築したものです。その際、敷地に建っていた旧検事正の官舎の一部と渡り廊下でつなぎ、新しく水屋を設けています。この敷地は前田利家の4女豪姫が関が原の合戦後、敷地を与えられ居住した所と言われています。
詳細を表示する旧高峰家
- 住所
- 金沢市丸の内5-16
- 開館時間
- 9:00~17:00
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徒歩1分
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Spot9金沢城公園大手堀
廃藩置県後、次々と埋め立てられた金沢城の堀の中で、今なお残っているのが大手堀です(周囲430m)。平成元年に堀の堤を補強し、堀沿いの散策路を整備しました。
詳細を表示する金沢城公園大手掘
- 住所
- 金沢市丸の内
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徒歩3分
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Spot10前田家(長種系)屋敷跡説明看板
前田家(長種系)は、藩政時代は長種(ながたね)から孝敬(たかゆき)までの11代を数え、邸は初代長種より4代孝貞(たかさだ)まで小松城内にありましたが、寛永16年(1639)金沢に移り、約7,600坪(約25,100m²)の広さを有しました。
詳細を表示する前田家(長種系)屋敷跡説明看板
- 住所
- 金沢市大手町
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徒歩10分
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Spot11奥村家(支家)屋敷跡説明看板
奥村家(⽀家)は尾張(愛知県)荒⼦城以来の前⽥家旧⾂であった奥村永福(ながとみ)の次男易英(やすひで) を家祖とし、藩政時代は則友(のりとも)までの15代を数えます。邸は当初⾦沢城内にありましたが、城郭内の整備に伴い、現⼩将町に移り、約2,400坪(約8,000m²)の広さを有しました。
詳細を表示する奥村家(支家)屋敷跡説明看板
- 住所
- 金沢市小将町
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徒歩8分
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Spot12横山家屋敷跡説明看板
横山家は、藩政時代は長隆(ながたか)から隆平(たかひら)までの11代を数え、邸は金沢城内にありましたが、元禄(1688~1704)の終わりころ、現横山町に移り、約5,500坪(約18,100m²)の広さを有しました。現在は横山町にその面影はありませんが、隆平が明治27年(1894)に金沢市柿木畠の旧本多主水屋敷跡の地に建てた城南荘(旧横山邸・石川県指定文化財)が現存しています。
詳細を表示する横山家屋敷跡説明看板
- 住所
- 金沢市横山町
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徒歩14分
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Spot13奥村家(宗家)屋敷跡説明看板
奥村家(宗家)は尾張(愛知県)荒子城以来の前田家旧臣で、藩政時代は永福(ながとみ)から栄滋(てるしげ)までの14代を数え、邸は元和6年(1620)ころ、今の兼六園の地に賜り、元禄9年(1696)現下石引町に移り、約10,000坪(約33,000m²)の広さを有しました。
明治以降、陸軍病院が置かれ、戦後国立病院となりました。道路に沿って残る約300mの土塀と戸室石の石組みに住時の広壮な邸の一端がしのばれます。詳細を表示する奥村家(宗家)屋敷跡説明看板
- 住所
- 金沢市飛梅町
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徒歩7分
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Spot14加賀本多博物館
徳川家康の重臣である本多正信の次男本多政重を初代とする、加賀本多家伝来の貴重な品々を展示する武家博物館です。初代、政重は加賀藩に仕えた後、八家で最高の「五万石」の禄高を拝領し、加賀藩の筆頭家老となりました。その政重が関ヶ原の戦いで着用した鎧や槍、藩主前田家よりお輿入れになった姫君ご愛用の豪華な調度品など、価値ある品々が多数並びます。中でも五万石の禄高加増を辞退した代わりに拝領した家宝「村雨の壺」は必見です。
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徒歩5分
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Spot15本多家屋敷跡説明看板
本多家は、藩政時代政重(まさしげ)を家祖とします。
政重は徳川家康の重臣である本多正信の次男で、邸は慶長17年(1613)ころ、約10,000坪(約33,000m²)の広さを有しました。本多家の家禄50,000石は加賀藩士の中でも最も高く、また、全国の家臣の中でも最高禄でした。詳細を表示する本多家屋敷跡説明看板
- 住所
- 金沢市本多町
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徒歩3分
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バス17分
本多町から北鉄バスなど金沢駅行
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