哲学&建築をめぐる旅 1

哲学&建築をめぐる旅 1

「鈴木大拙館」は、金沢市出身の仏教哲学者である鈴木大拙への理解を深め、思索の場とすることを目的に2011年に開設されました。東洋の思想・禅を西洋に広く紹介した学者として知られる郷土出身の世界的な人物を紹介する施設であると共に、設計が建築家の谷口吉生ということでも注目を集めました。

鈴木大拙館
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写真1:金沢の中心部とは思えないほど静かで緑豊かな「鈴木大拙館」。大拙の生家もすぐ近くにあった。

鈴木大拙は本名を貞太郎といい、明治3年に金沢市本多町で生まれました。第四高等中学校(第四高等学校・金沢大学の前身)、東京帝国大学の哲学科選科で学び、鎌倉円覚寺の今北洪川や釈宗演に師事して禅を研究。明治30年に渡米してアメリカに約11年間滞在し、その間に「大乗起信論」の英訳や「大乗仏教概論」を英文で出版。帰国後は学習院大学、大谷大学で教授をつとめ、80歳からニューヨークに移住してコロンビア大学、ハーバード大学などで仏教思想を教えました。

大拙は仏教哲学を世界に紹介した学者として知られていますが、自身のことを哲学者とも学者とも名乗らず「学校のしぇんしぇー(先生)」と言っていたそうです。欧米での知名度が非常に高い一方、日本国内では知る人ぞ知る存在かもしれません。それは、大拙の活動が欧米を中心にしていたことや著書が英文であったことも影響しています。そんな大拙が脚光を集めるきっかけになったのが、この館のオープンと建築です。

設計者の谷口吉生は「ニューヨーク近代美術館(MoMA)」の増築・改築コンペで、並み居る世界のライバルの中から採用された建築家で、父は金沢出身で多くの名建築を残した谷口吉郎です。当時すでにSANAA(妹島和世・西沢立衛)が設計した「金沢21世紀美術館」が金沢観光で確固たる地位を築いており、かほく市にある「西田幾多郎記念哲学館」は安藤忠雄の設計と、「鈴木大拙館」のオープンに期待と注目が集まるのは必然でした。

こんな風にいうと、建築ばかりが注目されているように聞こえますが、実際に訪れると、この建築空間が鈴木大拙の思想を表現し、理解を助ける不可欠な存在であることがわかります。「哲学とは?」「鈴木大拙とは?」という問いに、自信をもって即答できる人はそういないと思います。しかし、回廊で結ばれた三つの棟と、三つの庭からなる空間を回遊するうちに、何かを考え、感じ始めている自分に気づきます。単に展示品を収める建物ではなく、来館者それぞれが鈴木大拙について知り、学び、そして考えるように意図された空間なのです。


静謐な空間で思うこと

ここでは展示にタイトルや説明があえて付けられていません。「これは大拙の考えに従って、先入観なく見て、触れて、あるがままを感じてもらうための趣向です。そこで知りたいこと、深めたいことが見つかれば、スタッフがそれをお手伝いしますよ」と、学芸員の猪谷さん。

来館者が展示や空間から何を学び、感じるかは自由。不思議なことに説明がないからこそ、同じ展示を見ても人によって注目する場所や感じ方が違うようです。映画や音楽に興味がある人、現代アートに興味がある人、民芸や工芸に興味がある人、文学に興味がある人など、それぞれの視点からの発見があるのです。

鈴木大拙館
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写真1:「展示空間」奥の「学習空間」。広い床の間と、窓の外に「露地の庭」があり、静謐な空気が流れている。
写真2:説明は一切ないが、軸は大拙の書、花入はジャネット・リーチ作(企画展示により作品は変わります)。
写真3:案内してくださった学芸員の猪谷さん。

「展示空間」では鈴木大拙の書や写真の展示を中心に、年に数回の企画展示を行いながら、その生き方、考え方を伝えています。大拙は海外での生活が長く、欧米での知名度が高いことから、海外からの来館者がびっくりするほど多いのも特徴です。大拙の周りには、いつも人が集まり、その交友の幅広さにも驚かされます。「学習空間」に飾られていた写真には、大拙とゆかりのある人々が共に写っていました。


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本のセレクトからも、大拙がさまざまなことに影響を与え、多くの人が思想の世界でつながっていることを感じる。

「海外の映画や音楽、小説などにも、大拙の影響がうかがえる作品がたくさんあります。『THE DOORS OF PERFECTION(知覚の扉)』は、大拙の東洋思想・禅の影響を受けた思想家・小説家のオルダス・ハクスリーの作品で、精神世界や神秘体験について綴っています。ロックバンド“THE DOORS”の名前の由来になった作品なので、音楽好きな方が興味をもつ入口にもなるかと思います。代表作『ライ麦畑でつかまえて(The Catcher in the Rye)』で知られるサリンジャーの『フラニーとズーイ(Franny and Zooey)』(訳:村上春樹)の中にも、大拙のことが書かれているんですよ」と猪谷さん。

そんな話を聞いていると、それまで難しく考えていた禅や哲学も、いたるところで扉が開かれていて、いろいろな世界へ通じているように思えてくる。アップルの創始者であるスティーブ・ジョブスも禅に影響を受けたというのも有名な話。「学習空間」には大拙の著書、企画展や仏教・哲学に関する書籍、雑誌などが並び、テーブルや椅子も用意されています。書棚には一見意外に思える本も並んでいるので、タイトルを目で追うだけでも面白い。

思索を深める美しい庭園

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写真1:水面に浮かぶようにして建つ「思索空間」。
写真2:水音・波紋によって静寂が打ち破られ、水面は一旦乱れるが、また元の静寂へと戻っていく。
写真3:「思索空間」には畳の椅子がロの字型に設置されている。

「鈴木大拙館」は、かつて加賀藩の家老・本多家の広大な屋敷地であった「本多の森公園」「松風閣庭園」の樹々を借景にして建てられ、その眺めや館内の庭も大拙の思想や世界観を伝える大切な役割をしています。玄関から展示室へのアプローチにある「玄関の庭」には、幼い頃の大拙も見ていたシンボルツリーの大きなクスノキがあり、「学習室」の窓の向こうには「路地の庭」が静かに佇んでいます。中でも「水鏡の庭」と呼ばれる、浅く水を張った大きな水盤を広げた庭は圧巻。敷地の大部分を占め、水面が鏡のように空や雲、周囲の樹々などを映しています。

風の音、小鳥のさえずりの他は聞こえない静けさに包まれて、ついぼーっとしてしまいます。すると突然、パシャっという水音とともに波紋が広がります。先にネタをばらしてしまうと楽しみが半減するかもしれませんが、さっと通り過ぎてはこの庭の醍醐味は味わえません。ベンチに腰かけたり、見る位置を変えたり、水上に浮かぶように建てられた「思索空間」から眺めたり、ゆっくりと水鏡に映し出される四季・時間ごとの表情と波紋を体感したいものです。

建築と庭園に秘められた○△□

江戸時代後期の臨済宗の禅僧・仙厓義梵が「○△□」だけを墨で描いた禅画があります。ユーモアに富む仙厓の作品は大拙も深く敬愛し、仙厓論は大拙の著作においても大きな位置を占めています。大拙が「ユニバース(宇宙)」と名付けた仙崖の「○△□」が、実は「鈴木大拙館」の随所にデザインされているので、それを探しながら回遊するのも楽しみ方の一つです。

□は「水鏡の庭」の水盤、そこに浮かぶ白い建物「思索空間」。直線で構成された館全体や、窓枠で切り取られる風景もそうかもしれません。○は水面に発生する波紋、△はシンボルツリーのクスノキや水面に映る屋根の形。「学習空間」の横にある「露地の庭」の手水鉢にも「○△□」が表現されています。視点を変えると、さらに多くの「○△□」を発見できるかもしれません。

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写真1:「水鏡の庭」の壁面裏に回り込むと「○△□」が一度に眺められる場所があります。
写真2:「学習空間」横の「路地の庭」にも「○△□」。
写真3:玄関左手から「水鏡の庭」の裏や「松風閣庭園」「中村記念美術館」「本多の森」へ続く小径に出られます。
写真4:森の散策は思索にも最適。


<学芸員 猪谷聡さんのとっておき>

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世界的な仏教哲学者として知った上で鈴木大拙を見るのではなく、何も予習せずに気軽に来館していただけると嬉しいですね。建築に興味を持って来られた方が、大拙の著書を買って帰られることもよくあります。説明的な要素を除いたシンプルで洗練された建築は、館内を巡るだけで大拙を体感できるようになっています。設計された谷口吉生さんは、大拙の思想の世界を表現してくださっていると思います。父・吉郎さんは、大拙と交流もあったそうです。「思索空間」の入口には、大拙の言葉を記した「鈴木大拙のことば」というカードもご用意しているので、興味のある方はぜひお持ちください。周辺の「松風閣庭園」「本多の森」を散策するのもおすすめですよ。

スポット情報
鈴木大拙館
石川県金沢市本多町3-4-20
TEL 076-221-8011
開館時間 9:00〜17:00(入館16:30まで)
休館日 月曜(祝日の場合は直後の平日)
入館料金 一般300円、65歳以上200円、高校生以下無料
アクセス 北鉄バス・城下まち金沢周遊バス「本多町」下車で徒歩4分
駐車場 なし(近隣の有料駐車場をご利用ください)
http://www.kanazawa-museum.jp/daisetz

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